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新宿区町名の由来と歴史・・・第三回

 新宿区の中でも東側は比較的古い町名や歴史が残る地域です。そこで江戸川橋から神楽坂、牛込神楽坂、牛込柳町、飯田橋、市ヶ谷周辺を中心に町の歴史や町名の由来をご紹介いたします。

 今回紹介する町は、大久保通り沿いの市谷柳町、市谷山伏町、市谷甲良町、北山伏町、南山伏町、二十騎町、細工町、箪笥町です。このあたりは江戸時代の武家地として幕府から拝領した下級役人の屋敷が多くあった場所です。そのため町名もそれぞれの役職にちなんだ町名が付けられたようです。

 

市谷柳町(いちがややなぎちょう)

◆最寄駅:都営大江戸線「牛込柳町」駅

◆町名の由来:まず初めに市谷柳町の「市谷」の起源についてですが、室町時代に市谷亀岡八幡宮の門前で毎月「市」が開かれたことに由来する「市買」からという説と、この辺りに4つの谷があり、その一つ「一の谷」に由来する説があるそうです。

次に市谷柳町の柳は、地形的にこの辺りが窪地であるため柳が多くあったからとされています。また、この市谷柳町は市谷村と牛込村の一部に位置し、明暦以前は武家地や寺社地でありましたが1657(明暦3)年の「明暦の大火」以降(ちなみにこの辺りは大火には見舞われていません)は、大火による被災者が多く移り住み、代官領から町奉行管轄となり町人地として成立したと伝わっています。

 地図データ©2024Google

 

市谷甲良(いちがやこうらちょう)

◆最寄駅:都営大江戸線「牛込柳町」駅

◆町名の由来:市谷甲良町の甲良は、江戸幕府の作業奉行輩下だった幕府大棟梁、甲良氏の拝領地にちなんで付けられた町名が由来となっています。この甲良氏は日光東照宮造営から江戸城の修復などに携わり、3代目「甲良宗賀」の時代に市谷の地を拝領しましたといいます。しかし、宗賀は市谷には住まず千住に屋敷を設けていたそうです。

 地図データ©2024Google

 

市谷山伏町(いちがややまぶしちょう)

北山伏町(きたやまぶしちょう)

南山伏町(みなみやまぶしちょう)

◆最寄駅:都営大江戸線「牛込柳町」駅、都営大江戸線「牛込神楽坂」駅

◆町名の由来:市谷山伏町、北山伏町、南山伏町の山伏町の由来は、江戸初期に大久保大聖院(だいしょういん)の山伏(やまぶし)や修験者がこの辺りに多く住んでいたからと伝えられています。

ただ、古地図で「山伏町」の記載があるものを見ますと現在の山伏町と江戸時代初期の山伏町の位置は少し違っているようです。下は現在の地図(牛込柳町駅付近)、右端は1699(元禄12)頃の古地図の一部になります。

また山伏町は本来、牛込山伏町と呼ばれていたものを1872(明治5)年に市谷山伏町、北山伏町、南山伏町に分割されたそうです。

一つ余談ですが武家地として下級役人(同心)が住んでいた牛込山伏町は1723(享保8)年の火災により住人が焼け出され、排領地は幕府に没収されて翌年に代替え地として下谷に集団移転されたそうです。そのため下谷山伏町という町名が台東区にもあったと旧町名由来案内版に記載されています。

 地図データ©2024Google

 

二十騎町(にじゅっきまち)

◆最寄駅:都営大江戸線「牛込柳町」駅、都営大江戸線「牛込神楽坂」駅

◆町名の由来:二十騎町は江戸幕府の先手与力(さきてよりき)の屋敷町があったことから付けられた町名です。先手組は治安維持を担う役職で、戦闘時には先陣・先鉾として足軽隊を務めた組織です。平時でも江戸城の城門の警備や将軍外出時は警護といった重要な役割があったそうです。ここに1組10人で構成される先手与力の2組20人の住まいがあったため二十騎町という町名がついたようです。

 地図データ©2024Google

 

細工町(さいくまち)

◆最寄駅:都営大江戸線「牛込神楽坂」駅

◆町名の由来:細工町の細工は町職人の細工士ではなく、下級役人(同心)の役職名です。この武士団は御細工方同心とよばれる馬具や武具、諸道具等の細かな木工・金工・革細工をおこなう幕府の職人です。この御細工方同心の屋敷があったため細工町という町名がついたようです。

 地図データ©2024Google

 

箪笥町(たんすまち)

◆最寄駅:都営大江戸線「牛込神楽坂」駅

◆町名の由来:箪笥町の箪笥も家具の事ではなく、武士の扱う武器の総称「御箪笥」から来ているため、下級役人(同心)の役職名が町名の由来となっています。武器の管理や保管を主な仕事とした具足奉行組同心や弓矢槍奉行同心と呼ばれていたようです。これらの同心の住まいがあったことから箪笥町という町名がついたそうです。

 地図データ©2024Google