高田馬場の由来と江戸時代の姿 —— 江戸の風景をたどるまち歩き
現在の高田馬場といえば、学生の街、そして飲食店が軒を連ねる活気あるエリアとして知られています。駅前には若者が行き交い、昼夜を問わずにぎわいを見せるこの街から、かつての姿を想像するのは容易ではありません。しかし、江戸時代の古地図や名所絵をひもとくと、この場所がまったく異なる性格を持っていたことが見えてきます。現代の街並みの中に、過去の風景を重ねて歩いてみると、思いがけない歴史の層が浮かび上がってくるのです。
なぜ高田馬場に「馬場」があったのか
まず注目したいのは、「馬場」という地名の由来です。江戸時代、この一帯には広大な馬術訓練場が広がっていました。ここは単なる空き地や農地ではなく、武士たちが公式に馬術を鍛錬するための場であり、いわば軍事的な意味合いを持つ重要な空間でした。
出典:国立国会図書館(江戸名所図会「高田馬場」)
特にこの地は、徳川御三家の一つである尾張藩の下屋敷に近く、御家人たちが日常的に訓練を行う場として機能していました。馬に乗りながら弓を射る流鏑馬の稽古が行われていたとも伝えられています。現在の駅周辺の密集した都市空間とは対照的に、当時は見通しの良い開けた土地で、風が抜けるような広々とした景観が広がっていたと考えられます。
また、現在の高田馬場の中心よりも、やや早稲田寄りの高台に位置していた点も興味深いところです。わずかな高低差が視界の広がりを生み、訓練場として適した地形だったのでしょう。
古地図と現在を重ねる視点
江戸時代末期、1858年頃の絵図を見ると、この馬場は細長く伸びる独特の形状をしています。そのスケールは現代の感覚で見てもかなり大きく、都市の一角を占める重要な空間だったことがわかります。
興味深いのは、その形が現在の街路や町割りの中に痕跡として残っている点です。たとえば「茶屋町通り」といった名称には、当時の賑わいが今も言葉として息づいています。江戸時代、娯楽の少ない時代にあって、こうした馬場は見物客を引き寄せる一種のレジャースポットでもありました。沿道には茶屋が立ち並び、多くの人々が物見遊山に訪れていたと考えられます。
出典:国立国会図書館「安政改正御江戸大絵図」1858年
出典:Google Maps 地図データ@2026Google
古地図と現在の地図を重ねる際の基準として重要なのが、穴八幡宮と神田川です。これらは江戸時代から現在に至るまで位置が大きく変わっておらず、過去と現在をつなぐ「座標軸」として機能します。特に神田川は、時代を超えて変わらぬ流れを保ち、地形の記憶を今に伝えています。
名所として描かれた高田馬場
高田馬場は、単なる訓練場にとどまらず、江戸の名所としても広く知られていました。その証拠が、当時の浮世絵や名所図会に描かれていることです。
出典:国立国会図書館、(安政4(1857)年『名所江戸百景』)
出典:国立国会図書館、(天保年間(1834〜1836年)『江戸名所図会』)
なかでも有名なのが、浮世絵師歌川広重による『名所江戸百景』です。安政4年(1857年)、幕末の動乱期に描かれたこのシリーズの中に、高田馬場の風景も含まれています。また、天保年間に編まれた『江戸名所図会』にも同地が描かれており、当時の人々にとって広く親しまれた場所であったことがうかがえます。
彩色された名所絵は、いわば江戸時代の観光ガイドブックのような役割を果たしていました。そこに登場するということは、高田馬場が庶民にとっても訪れる価値のある場所だったことを意味します。
神田川と生活の風景
高田馬場の風景を語るうえで欠かせないのが神田川の存在です。この川は単なる自然の要素ではなく、江戸の都市機能を支える重要なインフラでもありました。物資の運搬、水の供給、防火といった役割を担い、人々の生活と密接に結びついていました。
川沿いには農地や水車が点在し、生活の営みが色濃く表れていました。現在では護岸整備が進み、遊歩道として整備されていますが、川の流れそのものは大きく変わっていません。実際に歩いてみると、「このカーブは江戸の頃から変わっていないのか」と実感できる瞬間があります。
出典:国立国会図書館、(高田姿見のはし俤の橋砂利場)
出典:国立国会図書館、(姿見橋「江戸名所図会」)
また、馬場から神田川へと至る地点に架かる面影橋も、江戸時代の名所のひとつです。その名の由来には諸説ありますが、武士の娘・於戸姫の悲話に結びつける説は特に有名で、訪れる人々の想像力をかき立てます。
明治以降の変貌と現在の姿
こうした江戸の風景は、明治以降に大きく変化していきます。鉄道の開通により、この地域は交通の要衝として発展し、都市化が急速に進みました。特に早稲田大学の存在は大きく、学生街としての性格を強める要因となりました。
その結果、現在の高田馬場は若者文化と飲食店が集まるエネルギッシュな街へと変貌を遂げました。江戸時代の静かな馬場の風景とは対照的ですが、だからこそ両者のギャップがこの街の魅力とも言えます。
変わらない「骨格」を見つける楽しみ
とはいえ、この街が完全に別物になってしまったわけではありません。地形や道の流れ、川の位置といった「骨格」は、今も確かに受け継がれています。わずかに曲がった道路や、不自然に残る空間、古くからの神社の位置などに目を向けると、そこに歴史の痕跡を見出すことができます。
そうした視点で街を歩くと、普段は見過ごしてしまう風景が、突然「意味」を持ち始めます。単なる通過点だった場所が、物語を宿した空間へと変わるのです。
過去と現在を重ねるまち歩きへ
高田馬場は、決して新しい街ではありません。江戸の武士たちが馬を走らせた場所に、現代の学生たちが集い、日常を営んでいる——そう考えると、見慣れた風景も少し違って見えてくるのではないでしょうか。
次にこの街を訪れるときは、ぜひ一枚の古地図を手に歩いてみてください。神田川の流れや地形の起伏を手がかりに、過去と現在を重ね合わせることで、高田馬場という街の奥行きをより深く感じることができるはずです。
