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寺院紹介①

龍谷山(りゅうこくざん)田中寺(でんちゅうじ)

 今回の【牛込探訪記】は、江戸時代初期の古地図にも名前を残す田中寺を訪ねました。江戸川橋駅の4番出口から徒歩5分ほどの住宅街の中にあるお寺様です。

 その歴史は古く、寛永5(1628)年に破了和尚により開かれた曹洞宗のお寺で、開山当時は天神町付近にあったものを寛永17(1640)年に現在の地へ移転したとお聞きします。当時、江戸川橋一帯は湿地が多く、周りが田んぼだったことで、徳川三代将軍の家光が鷹狩の途中、こちらのお寺に立ち寄り「この寺、独り田の中にあり、もって田中寺としたらよかろう」と寺名を授かったことから浄見寺から「田中寺」となったそうです。この縁もあり毎年正月六日には江戸城へ祝賀参上する由緒正しきお寺です。

江戸時代の古地図【元禄10(1697)年】からも田中寺を見てみましょう。

古地図には田中寺を真ん中に3軒のお寺が記載されています。右の伝久寺(傳久寺は明暦3(1657)年にこの地へ移ってきたそうで、左のお寺はもう無ないとのことです。

 今の本堂は昭和60年以降になり建て直されたそうで、本堂の左右には大きな石灯籠が立っています。特に正面右の石燈籠は徳川家の菩提寺として栄えた上野の寛永寺にあったものの一つで、寛永寺への寄付により払い下げられたものをご寄付して頂いたそうです。ちなみに寛永寺の石燈籠は震災等で被害を受けた再建寄付の返礼として各所に贈られていますが、そのほとんどが文化財の指定を受けています。ここ田中寺ではそんな石灯籠が身近で見ることができる貴重な場所です。

こちらの田中寺は先代、先先代と二代に渡り、曹洞宗の大本山永平寺の貫主(永平寺のトップ)を務められたそうで、その書が内陣正面に掲げられています。

他にも勝海舟の書や徳川家光より拝領された寺宝の茶釜、釈迦涅槃像の掛け軸など貴重な文化財もあるそうです。その他にもお寺の入り口右手と左手奥に長崎平和祈念像を作った彫刻家、北村西望の「こんにちは像」と「笑う少女像」が奉納されています。

また、こちらのお寺には文禄3(1594)年から信仰されている「身代わり地蔵」こと「富田地蔵菩薩」が本堂の裏手に安置され、江戸初期から二十八地蔵尊参りの札所として信仰を集めていたそうです。現在のお姿は青銅製に作り直されていますが、参拝者が今も訪れているといいます。

 田中寺では、一般の方でも参加できるお茶会(月6回)や座禅会(月2回)、写経会(第2月曜日)などが毎月開かれていて、ホームページからどなたでも申し込みができるそうです。

 

龍谷山 田中寺

東京都新宿区改代町11番地

03-3268-7624

https://www.denchuji.com/