江戸の神楽坂を歩く
東京・新宿区にある神楽坂。石畳の路地や老舗の飲食店、個性的な商店が並ぶこの街には、どこか懐かしい江戸の風情が漂ってきます。坂道を上り下りする人々の姿を眺めていると、かつてこの場所を行き交った江戸の人々の暮らしが浮かんでくるようです。
その様子を今に伝える貴重な資料が、江戸時代後期に刊行された『江戸名所図会』と、当時の風景を描いた錦絵です。
武家屋敷と神社仏閣が交わる坂道
江戸時代の神楽坂は、牛込と呼ばれた地域に位置していました。江戸城の外濠に設けられた牛込御門の外側から、北西へと上っていく坂道です。現在のJR飯田橋駅西口付近から早稲田通り方面へと続く道を思い浮かべると、わかりやすいでしょう。
出典:国立国会図書館『江戸名所図会』第7巻。当時の神楽坂
この絵は、江戸時代の天保5〜7年(1834〜1836年)ごろに刊行された『江戸名所図会』に描かれた神楽坂の様子です。坂の途中には階段状の道が描かれています。かつての神楽坂は現在よりも勾配が急で、明治時代に馬車などの通行を考慮して改修され、勾配が緩やかになったといわれています。その後も改修が重ねられ、現在の神楽坂の姿になりました。
出典:国立国会図書館『江戸名所図会』より。階段状になった坂の様子
当時の牛込(神楽坂)周辺には、武家屋敷や寺社が多くありました。神楽坂の沿道には、参詣者に茶などを出す茶屋や、武家屋敷・寺院に食料品や日用品を納める店などがあったと考えられます。
出典:国立国会図書館『江戸名所図会』より。上級武士や大名の登城風景
出典:国立国会図書館所蔵の錦絵より。神楽坂上の方から牛込門を見た様子
2枚目の絵(錦絵)を見ると、坂の両側に建物が連なり、道の中央では人々が行き交っています。右側の茶屋風の町屋には、店先に立つ人、荷物を運ぶ人、連れ立って歩く人など、さまざまな姿が描かれています。
現在の神楽坂の様子。神楽坂上付近から飯田橋(牛込門方面)を見たところ
絵に描かれた坂道は、神楽坂上から牛込御門(現在の飯田橋駅方面)を見下ろしたものです。神楽坂は単に人が通り抜けるための道ではなく、牛込に屋敷を与えられた大名や上級武士が登城する道でもありました。御徒や納戸方などの下級武士は、牛込門ではなく、市ヶ谷門などを利用したようです。
神楽坂の名はどこから生まれたのか
ところで、神楽坂という名前の由来については、いくつかの説が伝えられています。近くにあった神社の祭礼で神楽が奏されたことにちなむという説や、神社で演じられる神楽の音が坂まで聞こえてきたことに由来するという説などです。
それでも、神楽という言葉が土地の名に残っていることは興味深いものです。神社の祭礼や神楽の音が、当時の人々にとって身近なものだったことを想像させるからです。
毘沙門天の縁日が人を集めた
江戸時代の神楽坂の賑わいを語るうえで欠かせないのが、善國寺の毘沙門天です。善國寺は日蓮宗の寺院で、毘沙門天を祀ることで知られています。現在も神楽坂通りの途中にあり、街の象徴として親しまれています。江戸時代には、参詣する人々を集める名所の一つでした。
『江戸名所図会』の神楽坂の図には、毎月の寅の日には参詣客が大勢訪れ、植木などを売る商人たちが市をつくって賑わったという趣旨の説明が添えられています。
神楽坂にはほかにも神社仏閣が多く、寺社に参詣する人々が集まると、その人々を目当てに商人も集まりました。植木をはじめとする品物を売る店が並び、買い物を楽しむ人々で通りはいっそう活気づいたのでしょう。信仰と商いが結びつくことで、神楽坂は人々を引きつける場所になっていったと考えられます。
出典:国立国会図書館所蔵『江戸絵図』より。中央の道が神楽坂通りで、赤く塗られた部分は寺社
この地図は、江戸時代の地図『江戸絵図』(年代不明)です。神楽坂通りの上方には、多くの寺院(赤く塗られた部分)が確認できます。『江戸名所図会』の俯瞰図にも、広がる町並みや道を歩く人々、寺社の建物などが細やかに描かれています。参詣に訪れた人々だけでなく、そこで暮らし、働く人々の姿も感じ取れます。江戸名所は景色の美しい場所というだけでなく、人が集まり、日々の営みが重なる場所でもあったのでしょう。
絵に描かれた町の表情
『江戸名所図会』は、高い位置から町を見渡すように描き、坂道や寺社、屋敷、町並みの位置関係を伝えています。一方、錦絵では道を歩く人々や沿道の建物が目に入り、町の賑わいをより身近に感じることができます。
もちろん、どちらも写真のように現実をそのまま写したものではありません。絵師が見どころを選び、町の特徴が伝わるように表現した作品です。それでも、当時の町の構造や人々の往来、名所としての神楽坂の姿を知るための重要な手がかりになります。
江戸の記憶を今に伝える街
明治時代になると、神楽坂は新たな発展を遂げます。明治28年(1895年)に甲武鉄道の牛込停車場が開設されると、周辺の商店街や住宅地が発展し、やがて東京を代表する繁華街の一つへと成長していきました。
しかし、その賑わいの土台には、江戸時代から続く坂道と町の構造、そして人を集めてきた寺社の存在があったのです。
現代の神楽坂を歩くと、表通りの賑わいから一歩路地へ入ったところに、静かな町並みを見つけることができます。もちろん、江戸時代の風景がそのまま残っているわけではありません。それでも、坂道を中心に人が集まり、商いが生まれ、寺社が町を見守るという構図には、昔と今をつなぐものがあります。
