揚場町(あげばちょう) ー滝の音が響いた外濠と、時代を映す街
JR飯田橋駅を降り外濠沿いを歩いていると、行き交う車や電車の音と共に緑に囲まれた水辺の風景が広がります。しかし、ほんの160年ほど前は、この場所は武家屋敷と町家が並び外濠の水が滝となり、流れ落ちる音が街中に響いていたことをご存じですか。
今回歩くのは、牛込御門から神楽坂の玄関口となる揚場町です。江戸時代、ここは江戸城西方の重要な玄関口として栄え、武士も町人も旅人も、この地を行き交っていました。
左は現在の飯田橋近辺地図(©Google mapより)。右は安政5(1858)年の地図(出典:国会図書館)
外濠の水が滝のように流れ落ちていた江戸時代の揚場町
下の絵は、歌川広重が描いた『江戸名所』の一場面です。
出典:国立国会図書館。歌川広重の団扇絵『どんどんノ図』より、外濠揚場の様子
絵の画面中央には、外濠へ流れ落ちる美しい滝。一見すると自然の滝のように見えますが、これは江戸城外濠の水位を調整するためにつくられた堰・落水施設です。この水が勢いよく落ちる「どん、どん」という音からこの場所は「どんどん」と呼ばれ、江戸の名物景観にもなっていたようです。
そして、ここが人や荷物を運ぶ神田川水運の終点、揚場町です。この神田川水運は、江戸の海から隅田川を経て両国橋、秋葉原、水道橋へと続き、荷物や人は外濠のここまで船や屋形船で運ばれ、ここから牛込・市ヶ谷・四ツ谷などの武家屋敷や神楽坂へと陸路で移動していました。そのため揚場町はたいそう賑わっていたと古文書に書かれています。
広重の絵には、舟を岸に寄せる船頭、荷物の積み下ろしや船待ちの人々と茶屋、岸辺には町人らしき姿。右側には整然と並ぶ町家、その向こうには牛込台地へ続く道が伸びています。
滝の周囲は、夏になると涼を求める人々が集まり、旅人は舟を眺めながら一息つく。今で言えば都会のウォーターフロントのような存在だったのでしょう。
広重は、この人工の滝を単なる土木施設ではなく、人々の暮らしに溶け込む「江戸名所」の風景として描いたのです。
牛込御門を守る町
二枚目は明治初期に撮影された牛込御門の写真です。

石垣の上に立派な櫓門がそびえ、その足元には、広重の浮世絵と同じように滝が流れています。水の量は少ないようですが、江戸時代の風景が明治になっても変わらず残っていたのでしょう。
門の前では小舟が静かに浮かび、お濠の水面には鏡のように城門を映しています。
現在、JR飯田橋駅西口付近に残る牛込見附の石垣は、多くの人が目にすることができます。しかし、かつてこの場所には城門があり、水門があり、滝があり、舟が行き交う江戸有数の景勝地だったことを知る人は意外に少ないはずです。
揚場町と飯田橋の由来
揚場町(あげばちょう)という町名は、その名のとおり「荷揚げ場(にあげば)」に由来します。
江戸時代、神田川や外濠は重要な水運ルートであり、この場所は船で運ばれてきた米や薪、木材、野菜などの荷物を陸へ揚げる(荷揚げする)場所でした。また、ここの荷は陸路で四谷や赤坂まで運んだため、揚場の賑わいは山の手第一だと、下の「牛込揚場」にも記載されています。
この「揚場(あげば)」は後に町名となり、現在でも町名だけが残り、当時の物流拠点だった歴史を伝えています。
出典:国立国会図書館。第8編「絵本江戸土産」より、牛込御門からみた揚場の様子
一方、飯田橋の名前は橋の名前から来ています。その元となった「飯田町」という町名は、天正18(1590)年、徳川家康が江戸へ入った際、この地域(今の九段下あたりから外堀通り手前まで)を案内した土地の長老 飯田喜兵衛の働きが評価され、この地が「飯田町」と呼ばれるようになったと伝えられています。
その後、明治14(1881)年に外濠(今の歩道橋あたり)へ橋が架けられ、飯田町に通じる橋であったことから「飯田橋」と命名。1928年に外濠に沿って鉄道が引かれ、駅名が「飯田橋駅」となり広く定着。1966(昭和41)年に正式な町名も「飯田橋」となったという経緯があります。
このように、飯田橋や揚場町は江戸・明治にかけての水運と陸運が交わる「物流」と「交通」のだった拠点だったことを今に伝えています。
消えた滝、残った石垣
明治以降、鉄道が開通し、都市整備が進むにつれ外濠の役割は大きく変わります。「どんどん」は姿を消し、水門も撤去され舟運も終焉を迎えます。現在では外濠の一部が暗渠化され、外堀沿いをJR中央線・総武線が走り、お濠にはボートが浮かぶ程度となりました。
しかし、石垣だけは江戸時代とほとんど変わらぬ姿で同じ場所に残り続けています。牛込見附の石垣を見上げれば、その上にかつて櫓門が建ち、眼下では滝が音を立て水が流れ落ち、人々が舟を操っていた光景を想像することができるはずです。都市の風景は変わっても土地の記憶は消えていません。
「音」を想像しながら歩く
今の揚場町を歩くとき、ぜひ耳を澄ませてほしいのです。今聞こえるのは電車や車の往来ですが、江戸の昔、この場所で聞こえていたのは、「どんどん」と滝の音がし、舟を漕ぐ櫂の音。荷を運ぶ人々の掛け声。それらが幾重にも重なり、この町独特の音風景をつくり上げていました。
そして今、東京都は2030年に向けて400年を経た外濠の流れを取り戻そうと「外濠浄化に向けた実施計画」を発表しました。もしかすると、またあの「どんどん」が聞こえる日が来るかもしれません。
広重の浮世絵と明治の古写真は、単なる昔の記録ではありません。同じ場所が、時代とともに姿を変えながらも、人々の営みを受け継いできた証しなのです。飯田橋を訪れたなら、神楽坂へ向かう前に少しだけ立ち止まり、牛込見附の石垣と外濠を眺めてみてほしいものです。目の前に広がる静かな水面の向こうに、かつて滝の轟きがあり舟が行き交い、城下町・江戸の活気が息づいていた風景が、きっと心の中によみがえってくるはずです。
