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⽜込地域と浮世絵・・・第三回目

市ヶ谷八幡に残る「江戸の高台」
  ー広重が描いた、市中を見下ろす風景を歩く

 

 東京の街を歩いていると、ときどき不思議な感覚に出会うことがあります。ビルや車の流れに囲まれながらも、「ここは昔から変わらない場所なのでは?」と感じる瞬間です。市ヶ谷駅周辺も、そんな場所の一つでしょう。

JRや地下鉄、外濠沿いのオフィスビルが並ぶ現在の市ヶ谷。しかし江戸時代、この場所は武家政治とそれにかかわる武士や町人の生活圏を隔てる高台の名所でした。その姿を今に伝えているのが、歌川広重の『名所江戸百景』「市ヶ谷八幡」です。

 
 出典:国立国会図書館『名所江戸百景』(歌川広重)

 今回の浮世絵には、現在の「市谷亀岡八幡宮」と江戸の風景が描かれています。高台の社殿、木々の間に咲く桜、そしてその下に広がる町並み。現代の東京からは想像しにくいほど、静かで広々とした風景です。けれど実際に現地を歩いてみると、広重が見ていた“地形”は、今も残っていることに気づかされます。

 

「八幡さま」の高台

 広重の絵でまず目に入るのは、右上に描かれた朱色の社殿です。これは現在の 市谷亀岡八幡宮です。現在の八幡宮も、市谷駅から急な石段を上った高台にあります。実際に歩くとわかりますが、この高低差は都内でも意外なほど大きく、下の外濠周辺とはまったく別の空気が流れています。

 


 

広重が描いた「余白」

 この作品で印象的なのは、大胆に空を広く取った構図です。画面上部のほとんどを淡い空が占め、そこに鳥の群れだけが浮かんでいます。現代の都市風景写真のように情報量を詰め込むのではなく、“静けさ”そのものを描いているのです。

これは広重晩年の特徴でもあります。

 『名所江戸百景』が制作された安政年間は、江戸末期の不安定な時代でした。安政江戸地震の直後でもあり、江戸の町は大きな被害を受けています。そんな時代に広重は、単なる名所案内ではなく、「失われゆく江戸の風景」を描き残そうとしていたとも言われています。

 実際、この絵には賑やかな人物描写がほとんどありません。主役は、人ではなく地形と空気です。高台から見下ろす町、春霞、空の広がり。そこには、巨大都市・江戸の“呼吸”のようなものが感じられます。

 また、下の絵は松濤軒斎藤長秋によるもので、こちらも同じ市谷八幡宮を描いたものです。広重の絵も長秋の絵も市谷八幡の賑わいを描いています。

 


出典:国立国会図書館(江戸名所図会 7巻 [11] 第11-13冊: 巻4)天保5-7 [1834-1836]

現在の市ヶ谷と重ねてみる

 では、広重が見た風景は、現在どこまで残っているのでしょうか。もちろん、町並みそのものは大きく変わりました。低い瓦屋根の家々はオフィスビルへと変わり、外濠沿いには電車が走っています。しかし、変わっていないものもあります。それが「地形」です。

 実際に市ヶ谷駅から八幡宮へ向かって歩くと、急激に視界が開ける瞬間があります。これは江戸時代から続く崖線の高低差によるものです。江戸の町は、この“坂”によって成り立っていました。低地には町人地や水運、高台には武家地や寺社。つまり、地形そのものが都市構造だったのです。

 

 出典:国立国会図書館(安政改正御江戸大絵図_1858)

  出典:Googleマップ(現在の地図)

市ヶ谷は「通過する街」になった

 江戸時代、市ヶ谷八幡は“目的地”でした。市ヶ谷亀岡八幡宮のホームページによると「江戸時代、亀岡八幡宮の祭礼のにぎわいは、目覚ましく、山の手地区の伊達【だて】をつくしたといわれています。祭の参加者は、旗本に奉公するキリッとした若者や、いなせな町奴【まちやっこ】がほとんどで、それを見物する腰元や武家の娘たちがアデ姿をきそい、それを見ようとして、江戸中の人々が集まり、たいへんなさわぎでした。そのころの市谷は江戸を代表する盛り場だったのです」と、賑わっていたようです。広重の絵にも、外堀沿いに茶屋らしき店先に客の休憩用として張り出した縁台や簡素な座敷が見受けられます。ここは、まさに高台から景色を眺め、社を参拝し、季節を感じる場所だったのです。

 しかし、現代の市ヶ谷は通勤電車が走り、人々は足早に駅を行き交い、風景を眺めるために立ち止まる人はそう多くありません。だからこそ、広重の絵は私たちに別の視点を与えてくれます。

 「何気なく通り過ぎている場所も、かつては人々が風景を味わう場所だった」そう考えると、見慣れた街の印象が少し変わって見えてきます。

 

 

江戸の「高さ」を感じる場所

 東京は、しばしば“変わり続ける都市”だと言われます。確かに建物は変わります。街並みも、人の流れも変わります。けれど、坂は消えません。崖線も、高台も、川の流れも、簡単には変えられないのです。

 広重の『市ヶ谷八幡』が今も魅力を持つのは、その絵が単なる名所絵ではなく“土地の記憶”を描いているからでしょう。

 次に市ヶ谷を訪れるときは、ぜひ八幡宮の石段を上ってみてください。そして高台から街を見下ろしながら、広重が見ていた江戸の空を想像してみてほしいのです。すると、電車の音の向こうに、かつての江戸の静けさが、ほんの少しだけ重なって見えてくるかもしれません。

 

 

最後に市谷亀岡八幡宮の御利益

 ちなみに、市谷亀岡八幡宮(いちがやかめおかはちまんぐう)は、勝運、合格祈願、安産、ペットの健康祈願など幅広いご利益で知られています。境内には本殿、茶ノ木稲荷神社、金刀比羅宮、出世稲荷神社と複数の社があり、それぞれ異なるご神徳を授かることができます。