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水玉の向こうに、新宿の街が見える

水玉の向こうに、新宿の街が見える

  ー草間彌生さんを悼んで

 

 8月27日のニュースで、世界的な前衛芸術家・草間彌生(くさま やよい)さんが2026年8月14日に東京都内の病院で亡くなったことが発表されました。97歳でした。

 草間彌生さんは、私たちの暮らす新宿区弁天町にアトリエ(現在の美術館)を構え、世界に向けて芸術作品を発表し続けていました。草間さんは、創作活動の合間にアトリエの裏手にある病院へ通い「私の住まいは病院です」ということもあったそうです。

 草間彌生さんは1970年代にアメリカから帰国しますが、日本でのバッシングで精神を病み、自らアトリエ近くの病院へ入院。その後は、世界的芸術家という華やかな表舞台とは裏腹に、昼間は弁天町のアトリエで創作活動をし、夜間に車椅子で裏手の病院に通用口から自分の病室に戻るという生活を続けていたそうです。その様子はNHKスペシャル「“水玉の女王”草間彌生の全力疾走」で放映され、今もYouTubeやNHK ONE+で見ることができます。

 弁天町の生活は、草間彌生さんにとって何者にも邪魔されず、病と戦いながらも好きな創作活動に打ち込める健やかな日々であったようです。そして、地域の方々もそんな草間さんの生活を静かに見守っていたのでしょう。

 2017年、弁天町に開館した『草間彌生美術館』は新宿区弁天町107に今もあります。早稲田駅から徒歩約7分、牛込柳町駅から約6分、神楽坂駅からも約9分と、江戸川橋からもほど近い場所にあり、私どもハートフルセレモニーの取引先寺院である南春寺様の目の前にあります。

 新宿には、古くから文学、演劇、映画、音楽、絵画など、さまざまな表現者が集まってきました。特に神楽坂には文人たちが暮らし、牛込には多くの文化人が住み、早稲田には大学を中心とした知の文化があります。その街の一角に、日本を代表する世界的な前衛芸術家、草間彌生さんの美術館があるのです。

 草間さんの作品といえば、まず誰もが思い浮かべるのが、無数の水玉模様でしょう。赤や黄色、白や黒の水玉が、キャンバスから立体作品、部屋全体へと広がっていく。その独特の世界は、いまや日本だけでなく世界中の人々に知られています。

 

世界へ飛び出した「前衛の女王」

 草間彌生さんは1929年、長野県松本市に生まれました。幼いころから幻視や幻聴を体験し、それを絵画として表現するようになったといいます。水玉や網目を繰り返し描く独自のスタイルは、やがて草間芸術を象徴するものになっていきました。

1957年、28歳の草間さんは単身アメリカへ渡ります。

 ニューヨークでは、画面を埋め尽くす「無限の網」の絵画、布製の立体作品、鏡や光を使ったインスタレーション、さらにはパフォーマンスなど、既存の美術の枠を飛び越える活動を次々に展開しました。

 当時のニューヨークは、世界中から新しい表現を求める芸術家が集まっていた場所です。そのなかで草間さんは、日本から来た一人の女性芸術家として、自らの表現を強烈に主張しました。

 公式プロフィールによれば、草間さんは絵画だけでなく、ソフト・スカルプチャー、インスタレーション、ハプニング、映画、新聞発行など、さまざまな表現を自ら切り開いていきました。

 

新宿は、長く活動を続けた場所

 1973年、草間さんは日本へ帰国します。

 その後、東京を活動の拠点として、絵画だけでなく詩や小説などの制作にも取り組みました。長い海外生活を経て戻ってきた東京で、草間さんが活動を続けた場所の一つが、私たちにも身近な「新宿」という街だったのです。

 新宿区は2012年、草間さんを名誉区民に選定します。その理由として、長年にわたり独創的な作品を旺盛に制作し、国際的に活躍することで美術界の発展に貢献したことを挙げています。

 

なぜ「水玉」だったのか

 草間さんの作品を見ていると、無数の水玉が作品のなかで増殖し、壁にも床にも天井にも広がっていくことがあります。

一つひとつは単純な「点」です。

 しかし、その点が無数に集まると、世界そのものが水玉になっていく。

 草間さんは、モチーフを繰り返し、増殖させることで、自己と世界との境界が溶けていくような「自己消滅」の世界を表現しました。

 その水玉は、かわいらしい模様として世界中の人々に親しまれる一方で、どこまでも増殖していく不思議な力を持っています。

 小さな「点」が集まって、やがて一つの大きな世界になる。これは街の歴史にも少し似ています。

一人の人が暮らす。

一軒の店ができる。

一つの学校ができる。

一人の文学者が作品を書く。

一人の芸術家が絵を描く。

そうした小さな出来事が積み重なって、現在の街がつくられていく。

 江戸川橋、神楽坂、牛込、早稲田という街も、無数の「点」が集まってできた一つの大きな世界なのかもしれません。

 

97歳、最後まで絵筆を手放さず

 草間彌生さんは、亡くなる直前まで絵筆を手放すことなく、「永遠の愛と魂」を探究し続け、97年の生涯を送りました。

 2016年には文化勲章を受章。世界各地の美術館で大規模な展覧会が開催され、その名前と作品は日本を代表する現代美術として世界に知られるようになりました。そして新宿には、その歩みを伝える草間彌生美術館が残されています。

 草間さんが亡くなった今、私たちができることは、作品を通してその世界をもう一度見つめてみることなのかもしれません。

 水玉の一つ一つを眺めながら、その向こうに広がる無限の世界を想像する。

 草間彌生さんが世界に残した無数の「点」は、これからも私たちの街のなかにあり続けます。

 

ご冥福を心よりお祈りいたします。