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昭和と今の神楽坂界隈を写真で見比べる①

「昭和34(1959)年ごろの神楽坂の写真から」

出典:新宿歴史博物館「データベース写真で見る新宿」より

 

 上の写真は昭和34(1959)年ごろの外堀通り交差点「神楽坂下」から神楽坂を夕暮れどきに撮影されたものです。

 昭和34年というと、前の天皇・皇后陛下のご成婚された年で、日本は高度成長期。また5年後の東京オリンピックに向け、東京が大変革していくスタートの年でもあります。

 この年の1月にはメートル法が実施され、4月に国民年金法が公布されています。また、個人タクシーが走り出したのもこの年です。マイカーの普及や少年マガジン、少年サンデー、週刊文春と週刊誌の創刊が相次ぎ、週刊誌ブームも始まっています。テレビでは「ヤン坊マー坊」の天気予報や「カッパッパールンパッパー」と黄桜のコマーシャルが流れ始めた年でもあります。

 この昭和34年の写真には、着物姿の神楽坂芸者が何人か写っていますが、芸者さんがこのように集団でいるのはとても不自然で、しかも他の通行人はその芸者さんを珍しそうに眺めているのが見て取れます。多分この撮影のために芸者さんに協力してもらったのでしょう。

 また、左下の道を渡ろうとする男性がいるのが、現在(令和4年の写真)のスターバックスがある町角になります。当時、その場所には「ニューパリ」というパチンコ屋さんがあったようです。その上に田原屋のネオン看板が見えますが、これは毘沙門天横に以前(2002年2月閉店)あった夏目漱石もよく通った洋食屋「田原屋」のフルーツパーラー店のようです。

 下の図は、上の写真が撮影された1年後の昭和35年商店街図の一部です。赤い文字は現在も同じ場所で営業されている老舗商店で、左下から生花店の「田口屋」、うなぎ割烹の「志満金」、靴の「オザキヤ」、今はすき焼き屋の「増田屋」、セト物の「太陽堂」、中華の「龍公亭」、履物屋の「助六」。右下から、セト物の「陶柿園」、洋品店の「サワヤ」、今はインテリア用品の「菱屋」などがあります。残念ながら甘味の「紀の善」は昨年(令和4年9月)店主の高齢化で閉店してしまいました。

出典:神楽坂三十年代地図『神楽坂まちの手帳』第12号(2006年)より

 心なしか、この写真では神楽坂を闊歩する人々にも余裕が見られ、町の様子もゴミ一つない綺麗な町並みが写り込み、この後の飛躍的な経済成長がうかがえる一枚になっています。